▼▼▼▼▼▼第3審(上告審)、最高裁判所、終了▼▼▼▼▼▼
◎平成23年9月30日(金)。待ちに待った最高裁の決定が下されました。その日、私は何をしていたでしょう、余りに突然のことだったので日常を思い出すこともぼんやりしています。翌日の10月1日(土)の夜に「ネットニュースに最高裁決定が出ています。おめでとうございます」と教えてくれた記者さんの連絡で初めて知りました。忙しい日々だったので、ネットを見ることも忘れていた日の出来事でした。瞬間に誤報ではないかと疑いました。
控訴審の東京高裁で判決を聞いた時、意味が飲み込めずに川人弁護士を見やった時の“分からない”心境と似ていました。今回もやっぱり弁護士さんに聞いてみました。すると、弁護士さんも知りませんでした。
原告としては、あまりに嬉しい決定なのでもしこれが誤報なら、最低の心境に落ちることは間違いありません。
宝物を握り締めながら、「ねえ、これ本物なんでしょうか」とあちこちに確認している自分が結構長い時間ありました。
本当なんですよ、と確実に心が落ち着いたのはやはり川人法律事務所に郵便局から、書留の「最高裁決定書」が届きその内容を拝見した時でした。
じんわりと確実に喜びが湧いてきました。
仏壇に「最高裁決定書」を供えて報告しました。長い間、この世とあの世の境目をずっとうろうろさせてしまったように思えて、「もう成仏していいのだよ」と語りかけました。
支えて下さったたくさんの皆様のことが浮かびました。
最強の弁護団、私は本当にそう思えることを何度も感じました。提示されたことそのことに、そう進むことが本当に勝利に繋がるのだろうかと不安になることもあったのに、いつも堂々としていらっしゃいました。「勝てるものですか?」という質問を私はたくさん受けて来ました。なんてことを・・とびっくりしますが、皆様は案外すんなりと聞いてきました。その都度、「勝つ努力をしている、勝つ方向しか見ていない、勝とうと思って歩いている」と答えたと思います。それは弁護団の姿勢からいつも感じたことそのままをお伝えしたものです。
もし、最高裁の結果が思わしくなくても、今の非正規労働者を考えて下さる世の中の状況は、提訴時から考えると雲泥の差になっていました。
東日本大震災の後は、生活も自分自身の身体も非常に厳しくて、原告として存命し続けることが最終目標のようになっていました。
裁判では自分の住所氏名を明かして、証人に立って下さった方々もいらっしゃいました。「意見書」を書いた精神科の先生が、証人席でまるで罪人の味方をする極悪人のような扱いを受けているように思えました。勇士の同僚だった方の時にも、質問は情け容赦なく、原告席で悲しくて仕方ありませんでした。証言はこの裁判に大きく影響しました。耐えて出席いただき感謝でいっぱいでございます。
自分の住所氏名を明らかにして、立ち向かっていただいたものに、「陳述書」があります。この内容によっては、後日証人になることもあるものです。「陳述書」もたくさんの方々に登場いただきました。他人の裁判で住所氏名を明かす、その勇気に感激致しました。ありがとうございました。
法廷の傍聴席にいつも応援にかけつけて下さった方々、ほんとうに有難かったです。自分のスケジュールを合わせて、自費で、本当に申し訳なかったです。ですが、嬉しくて、しかも毎回相当にあてにしてお待ちしていました。期待にこたえていただき、ありがとうございました。
そして法廷の外で、すべての活動を原告に代わって担当し活躍を続けて下さったのは、これも最強の支援の会でした。原告自身が東京に住んでいたとしても、ここまで活動できただろうかと思えるほどの熱意が伝わるものでした。都度の報告をいただいたり、至れり尽くせりの方々でした。原告が脱帽するほどの迫力です。裁判が終わった今も、残務処理などあてにしている強い味方の会です。(すみません。もうしばらく宜しくお願いします)
そして、周りから。包囲網のように情報を寄せ、ヒントを与えていただき、言葉だけでも力になりたいと連絡を下さった皆様、何が必要かと聞いて援助下さった皆様、もっともっとたくさんの方々がいらっしゃいました。こういう大きな力に囲んでいただいて、とうとう勝利することができました。
上申書や署名等、ご協力はたくさんいただきました。署名して下さった方、集めて合計してお世話下さった方々、・・。本当に有難かったです。
一人では闘えなかった、支援して下さった数え切れないほどのたくさんの方々に心から御礼申し上げます。
一非正規社員の過労自殺に関心を持っていただき、最後まで支援していただいたことは、くじけそうになった気持ちの大きな大きな支えでした。
生涯の宝物です。ありがとうございました。
平成23年10月12日
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